自己紹介

 

ニックネーム まーちゃん・まぁー 

 

性格  ・自己中・正義感が強い・大胆・ちょっと小心者・超ポジティブ・動物大好き・感受性が高い・食べるのが好き・マイペース・スピリチュアル大好き・感が鋭い・本能で生きている・世界は自分のために回ってると思ってる

持ってる資格

・車の免許・小型バイク免許・ダイビングインンストラクター・柔道2段・剣道5級

・スケート5級・剣道5級・レイキ・キネシオロジー・アロマ・トリマー二級

・心理カウンセラー・動物愛護・タイ古式マッサージ・チネイザンなど、、、、、

好きな言葉

100叩くと壊れる壁があったとする。

でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、

90回まで来ていても途中であきらめてしまう。

座右の銘

明日死んだとしても悔いの残らない人生を送る。

人生のターニングポイント

7才 母の自殺と死の声

私の記憶だと父の浮気と母が韓国人だったため、日本語での表現が上手く出来ず、そのストレスも原因だと考える。

私が小学校2年生の時、母が死んだ前日父と母が喧嘩をしていて母が家を飛び出した。

たまにそういう事が前にもあって、大体が母の韓国人仲間の家に行ってる事が多く、今回もそうだろうと父も思ったのだろう。

私も何も気にせず父と隣同士に並んでる母の布団に寝ていた。

早朝ふっと起きると声が聞こえた「あぁ〜疲れた。」

その声を聞いて「あっ、お母さんだ!お母さんの声が聞こえた!」と思ったが周りには父しかいなく、あれ?聞き間違いかな?と思ったら一本の電話が、

その電話は母の韓国人仲間からだった。

母の友人「お母さん家に戻ってるはずなんだけどいない?」 それを聞いて私はやっぱりお母さんは帰って来てたんだと思い、いるとしたら1階のリビングかな?と思い電話をくれた母の友人に「ちょっと待ってて、一階に行って見てくる」と伝え電話を片手に2階の寝室から1階に行くと母を発見。

私「あ、お母さんいたよ!今庭見てる」

母は植物が好きで良く庭をいじっている事が多かったので、その時は大好きな庭を見ているんだなと思った。だけど様子がおかしく近づいて見ると、庭を見ているのでは無く、何個ものタオルを結んでロープ状にして首を吊っていました。

それを見て急いで父を呼んだ当時の事を今でも鮮明に覚えてます。

それから警察の人がきて何度も何度も本当にしつこいくらい母の前日の行動と発見した時の状況を聞かれました。

今でも不思議だと思うのは私が聞いた母の声 聞いてた時にはもう死んでいたはずなので聞こえるはずが無いのに、あの声は母の心境っだたんだと思う、私に向けて「疲れちゃった、ごめんね」と伝えたかったのかな??

母が死んでから当時の事を振り返って見ると母に対して残酷な事を言っていたのを思い出す。

「お母さんとお父さんどっちと一緒がいい??」

と言われた事があり、迷わずお父さん!と言った。

理由は経済的な面を考えての事だったけど小学2年生でそこまで考えた私もすごい(笑)それと父は優しい、母は怖いからも理由の一つだったけど何処の家も小さい時はずっと一緒にいる母がうるさい怖いのも、仕事から帰ってきて甘やかすだけのお父さんは優しいに決まってる。しょうがないけどそれを言ったことは後悔してるなぁ。

あと幼い頃良く見ていた夢がありました。

一つ目の夢が母と2人でボロいアパート生活をしている夢。

二つ目の夢が母が死ぬ夢。

幼い頃は何度も見る夢に怖がり母にはよく「死んでも私の前には現れないでね」と良く言っていましたが言った事を後悔しています。

今思うと幼き頃に良く見た夢は予知夢だったのかな?

幼くして母が死んだ事、母があまりいい死に方をしなかった事に対して周りは可哀想と思われ当時の話しをすると辛かったねと言われますが幼かったせいもあり、当時も今も母の事を話すのになんの抵抗も無く辛かったとも思っていません。

今では幼かった子供を残して1人で自殺をしてしまった母も良くないと思っています。

母はお母さんと言うより女性として感覚が強かった人なのだろうと思ってます。

 

8才腹違いの姉夫婦と父親と一緒に同居

ちょっと複雑な家系図なのですが、母と父はお互い再婚同士で、(母の子供1人)(父の子供2人)2人の間に私が生まれました。

(父の子供達はとっくに成人しています、母の連子の姉が一番年が近くて私と14歳差です)

 

因みに私は父が54才に出き、母は多分40代かな?

父が50代前半の時に脳梗塞で左半身動かないのと、自営業で仕事をしていて私の面倒を見れないので腹違いの姉夫婦と暮らす事になり、母親代わりになってくれた。

 

腹違いの姉夫婦には私と同じ歳の女の子がおり、その子とはとても仲が良かったため、一緒に住み始めた当初は喜んでいたが、小学校3年生になるまでその子の母親と私が腹違いの姉妹とは知らなかった。)

 

母の遺骨を目の前にして私は何があっても自殺しない、お母さんの分も100歳以上生きると誓い、葬儀中腹違いの姉に対してずっと「Rちゃんのお母さんと」と呼んでいたが、腹違いの姉に「これからはお母さんって呼んんでいい」と聞いてそこから今でも姉ではなく、「お母さん」と呼んでいる

 

当時覚えている感覚だとずっとRちゃんのお母さんって言うのがめんどくさかっただけなのと甘ったれな私はやっぱり「お母さん」と呼べる存在がいない事に淋しさを感じたからだと思う。

 

成長するにあたってあ母さんと呼ぶ事に不自然さを感じ

もうお母さんって呼ばない!姉と呼ぶ!と思ったが長年言いつづけた「お母さん」とゆう呼び名はかなかな変えられず、めんどくさくなってそのままお母さんと呼びつずけています。

 

 

9才差別に苦しむ(私の暗黒期の始まり)


 

仲のいい友達とそのお母さんだと思っていた人達と暮らすようになり、生活の違いに苦しむ、、、、。

 

当時の私はかなりの口下手っだのに対して腹違いの姉とRちゃんは口から先に生まれたかのような達者ぶりで、今まで可愛い×2とお嬢様のように育ってきた私は冗談でもブサイクと言われたり、嫌がってるのにも関わらずジャレあって大の大人が全体重を押し付け、何度も真剣にやめてほしいと言ったが聞き入れてもらえず、自分の娘と見た目やできの良し悪しを比べたりされ、Rちゃんより見た目も可愛くなく、頭も良くない私は言われ続けられる事でどんどん自信がなくなり暗くなっていった。

 

多分本人達はコミニケーションのつもりだと思うが今までの生活環境の違いもあり、この行為は私にとってコミニケーションではななくイジメに等しい行為だった。

仲のいい友達とそのお母さんだと思っていた人達と暮らすようになり、生活の違いに苦しむ、、、、。

当時の私はかなりの口下手っだのに対して腹違いの姉とRちゃんは口から先に生まれたかのような達者ぶりで、今まで可愛い×2とお嬢様のように育ってきた私は冗談でもブサイクと言われたり、嫌がってるのにも関わらずジャレあって大の大人が全体重を押し付け、何度も真剣にやめてほしいと言ったが聞き入れてもらえず、自分の娘と見た目やできの良し悪しを比べたりされ、Rちゃんより見た目も可愛くなく、頭も良くない私は言われ続けられる事でどんどん自信がなくなり暗くなっていった。

多分本人達はコミニケーションのつもりだと思うが今までの生活環境の違いもあり、この行為は私にとってコミニケーションではななくイジメに等しい行為だった。

 

10~12才 戸惑・自信失って行く日々(私の暗黒期のはじまり)

小学校3年生の時腹違いの姉と2人で買い物中、Rちゃんが友達の誕生日会に行ってるのを聞いて私はある事を思い出して泣きだしました。

どうしたのか聞かれたが恥ずかしいし笑われるのが嫌だから言わないと言い続けたが、笑わない事を条件に泣いている理由を話しました。

小学1年生の時に初めて誕生日会に呼ばれ、それが嬉しくて×2

母と一緒にプレゼントまで用意して待っていたのにもかかわらず、誕生日直前になりその子に誕生日会に呼べる子が5人までで他の子を呼べたいからやっぱり来ないでと言われ、プレゼントを用意したと伝えるとプレゼントだけ頂戴と言われた事があり、その事が悲しくて悲しくて、小学校1年生の時のその悲しい出来事を急に思い出して泣いていたと話すと腹違いの姉は何と大笑い!

その姿に私は唖然とし真剣に話しているのに大笑いされた事にもショックを受けた。

小学校4年生の時にはRちゃんと腹違いの姉との交換日記を発見しました。

中身を見てみると私と暮らし始めた当初の頃に書いた日記みたいで数ページで終わっているが日記の内容は

「私と一緒に暮らすようになってあ母さんと呼ばれる様になったけどRちゃんが一番だよ」と言う内容でした。

それを見て私は「そりゃそうだよね、Rちゃんからしたら急に自分のお母さんを取られた様なもんだもんね」と思いつつ何とも言えない複雑な心境でした。

母がな亡くなってから生活リズムが変わり、父は父親らしい事をせず、何でもお金を渡せばいいと思ってるしまつ。

腹違いの姉が一緒に暮らすようになった理由の1つが父の経済力があっての事。

生活環境が段々と変わる事に現実逃避したくなり自殺を考えるようになりましたが

そんな時はいつも母の葬儀の時に誓った言葉を思い出しました

「絶対に自殺なんかしない、100歳以上生きる」と。

でも正直に言うと死ぬ勇気が無かっただけ、当時は哀しい事や辛かった事には良く日記のように手紙を書いていました。

辛かった時限定に書く手紙と未来の自分に向けてのタイムカプセル。

ダイムカプセルは3ヶ月先のお物や1年~3年先のも作りました。

内容は未来の自分に対しての励ましの言葉と希望の言葉を綴った手紙です。

(未来の私へ、、、大丈夫?辛くない?悲しくない?私ならぜったいに乗り越えられるから大丈夫だよ、自信を持って!私なら絶対にステキな大人にならるから)

未来の私が落ち込んど時の励ましの言葉です、、、、。

書いて読んでの繰り返しで冷静さを保ってました。

 

13才 小さい光と闇の狭間(暗黒期)

中学時代仲の良い友達に出来たばかりの柔道部に誘われ柔道部に入ることになしました。

元々不良を更生させるために出来た部活でしたが

私がいた代には不良と呼ばれるグループはそんなにいなかったためほぼ遊び場でした。

不良と呼ばれる先輩逹とも仲が良く最初は楽しい部活だったのですが、同じ学年の女の子Mちゃんがその柔道部の女子を仕切っていて

私の事が嫌いらしくハブにされたり同学年の男子からは上履きや荷物を隠されたりとイジメにあいました。

ある日、そのMちゃんが休んでいる時に男子からツバをかけられ、さすがにブチ切れた私はその男子を2、3発殴ると男子が泣き出してしまい

その事をキッカケに何とか変えないとダメだと考えつつ家でも学校でも辛いのとばかりで、でも死ぬ勇気は私には無い。

そう落ち込んだ時はいつもに自分を天秤にかけるようにした。

「今死ぬのと、今勇気を出す事とどっちならできるか」

結果Mちゃんとは話し合うことを選びました。

元々あまり会話をした事がないMちゃんに嫌われる理由もわからなかった。

Mちゃんと話してみると小学生の頃口下手で言い返す事が出来なく、でも目立つのが好きな私は、何かあるとすぐ暴力を振るっていた(男子限定)

その小学生の時の噂がエスカレートしてMちゃんの耳に入ったらしく、その誤解を解いたら無視は無くなり、イジメも無くなった。

それと当時は知らなかった事。

柔道部に入るのに半年以上の仮入部員だったらしく、私を入れさせたくないMちゃんが先生にそうさせてたらしい。

(正直それを聞き入れる先生もどうかしてる)

この出来事があってからいつも

「死ぬこと」を天秤にかけて喋る(話し合う)勇気を出し始めてから私の心境がほんの少しづつだけど変わって行きました。

当時お遊びで部活という部活をやっていなかった柔道部だったが、急に先生の態度が変わり、受け身もまともに出来ない私達女子部員を連れて何故か高校生との練習試合をしに、、、、。

当時でも教師の暴力行為にはシビアだったが、柔道部の先生は理由なく体罰を振るう人で、特に私は見せしめ役として多く暴力を振るわれました。

柔道部の顧問はその日によってコロコロ態度が変わるもんだから厄介、同世代の部員Mちゃん逹とは何度か衝突はあったもののすこしずつ誤解を無くし、現在でも親友とお互いに呼べるほどまでに☆

家では基本Rちゃんが中心で会話の内容もRちゃんが習い事をしているゴルフの話しばかりで会話に入っていけず1人蚊帳の外。

夜ゴルフの練習に行くRちゃんと姉夫婦はゴルフ帰りに、焼肉やらラーメンやら私に内緒で食べに行ってるのを知っていたけど、しょうがないと自分に言い聞かせていた。

この柔道部に入って良かったのか悪かったのか、家で嫌な思いをする事も多かったが部活の疲れもあり長く考えてる余裕もなく、中学生生活ではいろいろ落ち込む事はあったものの部活の疲れで吹っ飛んでいたのと、柔道で私1人全国大会にまで出場する事にもなり、自分に自信を取り戻しつつありました。

だけど子供な私はとても寂しがりやで、もやもやした時は自分にいいきかせてました。

本当のお母さんでもないし、Rちゃんも私と暮らしはじめてお母さんを独占できなく嫌な思いをしてるだろうし、

Rちゃんが一番なのも当たり前な事だし

、ゴルフの会話ばかりでついていけないのもしょうがないし、

夜私を抜きにしてどっか行くのもしょうがないし、

私がイジメに合ってる時は何もしてくれなかったのに、Rちゃんがイジメにあったら送り迎えとかしてくれるのもしょうがない、

柔道でいくら頑張っていても見てくれていないのはしょうがないし、

お小遣いをためていっぱいプレゼントしてもいつもいくらした?安いねと思われてもしょうがない、

初めての部活で全国大会に誰も来ないのはしょうがない、、、、、。

いっぱい、いっぱいしょうがないと言い聞かせて我慢してきました。

 

16才 寂しさ(暗黒期)

中学の顧問の先生に「お前が高校を柔道の推薦で行かなかったら、俺はお前を殴る」と言われ半強制的に推薦で柔道へ、でもそれを言われる前日に朝礼中、急に呼び出せれ、訳もわからず行ってボコボコにされました。

あとで理由を来たら気合いが入っていなかったかららしい。

正直もう柔道はしたく無かったが、せめて次は知ってる人がいなくて、休みもあって、理由なく殴らないコーチがいるところ、、、、。

と思い高校を選みました。

同期の女子は4人しかいなく、最初にIちゃんて子と仲良くなったが、Iちゃんが中学時代受けてたイジメの話しをされ、それについて私の考えを言ったのをきっかけに、向こうが私を避け始めた、、、、。

またこのIちゃんがタチが悪く、この女子同期のボスに君臨するだけでなく、厄介な事をしてくれた、、、、。

ハブはもちろんの事、一度も喋った事の無い男子にまで嫌われるしまつ、、、、。

またこれか、、、でもその内自然と誤解も溶けるだろうと思い放置。

でも誤解が解けるまでの間きつかった。中学時代と違って部活の時間も長いので一緒にいる時間も長い、、、。

男子からの誤解が解けたのは高校3年になってからで今でも覚えてる一言が「お前って実は良いやつだったんだな!」

男子を仕切っていたボスと打ち解けると後は早い!

やっと他の男子とも普通に接するようになれたが「お前って実は良いやつだったんだな」の言葉を思い返してみると、喋った事の無い男子に誤解を招く事をしていないので、どう考えてもIちゃんが私の悪口を伝えてたと考えるしかない。

高校生活は朝4時半に起き朝練に行き、夜22時位に家に帰ってくる生活を送ってました。家族の事、部活の事で毎日がいっぱいいっぱいでだんだん心がまた壊れてきた。

 

17才 18才裏切りと 再会(暗黒期)

毎日稽古で苦しんでいた私は腹違いの姉に良く愚痴を言っていた。

部活辞めたいなぁ。

でも実際は弱音を誰かにぶつけて聞いて欲しいだけで、実際には辞める気が無かったのだが、衝撃的な事件はその次の日に起こった。午後の練習が終わり、急に部活のコーチに呼ばれ「まさえ、誰だとは言えないが辞めたいって聞いたけど、本当か!?」と言われビックリ!何で急に?部員同士で冗談半分で辞めたいとは言うものの皆冗談で言い合ってるだけとわかっているから部員の子がコーチに言うわけが無く、そうすると喋った相手は腹違いの姉しかいない。

コーチに冗談だと伝えると「実はお前の姉に(姉の子供が)試合に出るからそれに行きたいからお前を休ませて家で留守番させたいと言われたんだ、それは難しいと言ったら、おまえが部活を辞めたいと言ってると聞いたがそうなのか?」

それを聞いて愕然とした。当初父は自営で働いていたとは言え、体が不自由なので自宅に誰かいないとダメだった。

それと、私が辞めたいと愚痴っている時に、腹違いの姉が自分の子供Rちゃんの試合に自分も泊りがけで行きたいから、休んで欲しいと言われたのを思い出した、その時は部活があるから無理と断った。いくらイヤイヤ部活をやっていたからといっても私が真剣にやっていたのをわかってるはずなのに、日帰りで試合を見に行けばいいものの、自分が泊まりたいがためにコーチに対してそんな事を言うなんて当時はありえない事で、私はそれに対し怒りと、私がどれだけ真剣に柔道をやっているか分かっていないんだと思うと悲しさでいっぱいだった。

その日の夜、姉がしたことの怒りと悲しみが抑えれず初めての家出をしました。

正直家出なんてお金がないのに無意味な行為だと思っていたけど、家出するほど貴方がした行為に傷付いたのだと分からせたかった。

その日は中学高時代仲良くなったのMちゃん家に泊まり、早朝部活の朝練に行った。

午後の練習になり、コーチから呼び出され、「心配してるから今日は家に帰りなさい」と言われ、家に帰ると唖然とした

その日1日、結局父以外誰もいなかった。

まるで私の初めての家出が無かったかのように、、、、。

この人達は私の初めての家出なんてどうでもいいんだ、自分達の事しか頭に無いんだ、しょうがないよね、、、、

親じゃないし、でもこの出来事は私にとって忘れることの出来ない悲しい出来事でした。

高校の私の試合に初めて来たときには、その試合で直ぐに負けてしまい、悔しくて泣いていると、それを見た腹違いの姉が[Rちゃんなら泣かない、泣くところを見せない]と比較した事に私は激切れ、

一生試合を見に来るなと怒鳴った。

そこまでどなった理由は朝早くから1人で起きて準備をして朝練に行き、部活が終わってからも1人で自主練習をして頑張ってきた私と

朝も1人でまともに起きれず、練習もまともにしていなく、ネイルでデコデコにした爪で試合に集中してないRちゃんと較べて欲しく無かったからだ。

この人はいったい何を見て私と比べているの??

腹違いの姉の性格を分かっていても、諦めきれず何かを期待してしまう私、だんだんと情緒不安定差が酷くなり始めた頃、母が死んでから音信不通になっていた父親違いとの姉,私の1番大好きな姉H

との約7年ぶりに再開したのをきっかけネガティブな私からポジティブな私へと変わり始めた。

姉Hは私に対して愛情と考えるクセと実行する行動力をくれました。

それが今の私になる1番の大きいターニングポイントだと思ってます。

そこからだんだんと考える様にしました。

何で今私は泣いているのか、何を理由にこんな感情になるのか、そうならないためにどうすればいいのか、いろいろと何に対しても自分が思っている感情の理由、どうしたいか具体的な考え方、どうしたら自分が辛くなって、どうしたら楽になるかを考えるようになると、

腹違いの姉からは良く「可愛げのない子、昔はそうじゃなかった」と言われ、

それに対して私は「貴方に可愛がれるためにいいるんじゃありません」と言い返していた、今まで腹違いの姉の都合のいい子から都合の悪い子に変わったのだろう、そのやり取りは何年もあった。

少しの自信がつき高校卒業するまで情緒不安定さを少しずつ、少しずつ変えて行った。

 

19才 20才明るい日差し(暗黒終盤)

嫌だった柔道から離れ、大好きだった犬と関わりた(犬の美容師)トリマーの専門学校に入る。

中学校から6年間苦しかった練習も無くなり、自由と開放感につつまれ、今まで内気で口下手だった私が嘘の様に変わっていった。

毎日が楽しい学校生活、自宅では昔の様に口下手な私はいなく、思ったことは直ぐに口に出す様にしましたがそれは同時に口喧嘩がエスカレートし、その喧嘩を見るとRちゃんは何時も腹違いの姉の加勢をしてきて言った一言

「私のお母さんなんだから~」

その後なんて言ったのか覚えていないけど、それを聞いてショックを受けた。

貴方のお母さんなのは100も承知だよ!何でこんない言い争ってるうのか理由を知らないで口出してくんなよ!

てめぇが喧嘩してる時は私が横から口出ししたこと無いだろ!!と思いつつ「私のお母さんなんだから~」と言う言葉に悲しんだ。

 

20才21才 初めての社会経験と家族への思い

専門を卒業したが、腰が悪くトリマーを諦めて悩んだ結果スキューバーダイビングの道を選ぶ事にしたのだが、一度社会経験を学んでからでも遅く無いと思い1年半営業の仕事をしました。

そ間に自分のなかにある家族へのわだかまりを解消したく、父、腹違いの姉、姉の子供Rちゃんと一人ずつ私が今までどう思ってきたのか、

小学校時代に、悩を打ち明けた私に対して笑った事に対しても、Rちゃんと比較されて嫌な思いもした事も、

イジメられてた事に対して何もしてくれなかった事に対しても、頑張っていた部活動に対しって優しく接して欲しかった事に対しても、何で可愛げのない子になったのかも、

Rちゃんにも何でケンカをしていたりゆうを伝え、父にも腹違いの姉と急に一緒の生活をする様になって私がどんな思いをしていたのかも全部話した。

諦めず何度も繰り返し話し合い、これからは気を付けると言いつつ同じ事を繰り返す腹違いの姉の事に対して、あぁ、こいつダメだわかってない!感覚や価値の違いだと思い期待するのを諦めました。

 

21才~海外タイでダイビングの仕事につく

 

結局1年半営業の仕事を経験した後、実は憧れてる先輩が同じくタイで働いていたためタイでダイビング をする事に、でも同じ場所で働くのが恥ずかしかったため同じタイでも全く違う場所に行く事にしました。

でもまさか初めてのダイビング ショップの職場でもイジメに会う事になるとは、、、。当時はなんでそうなる??これも試練なのかと思ったくらい。

しかもイジメの理由が運が悪い誤解から来ることが多く、また今回もそうだった。(何度も同じことが続くとこれは私がそうさせてるのかもと今では思ってます)

また今回も大変で、みんなで共同生活のため四六時中一緒にいるから私の悪口を言ってるのも聞こえるわ、仕事は教えてくれ無いわで散々、、、初めての海外生活に英語もしゃべっれず、同期もいなく、相談する相手もいない、、、、。唯一の救いはダイビングにくるお客さんと近所に放し飼いに飼われてる犬達くらい。

犬といつも一緒にいたせいか犬達と仲良くなり、私の呼び声一つで集まるまで躾けた結果、外国人グループから「ドッグマスター」と呼べれるまでに、その生活も次第に疲れ果て流石に段々と病みはじめるが日本に帰りたくても帰れない状態でした。

私の悪口を耳にした隣の島にいたダイビング ショップの社長が私と2人で食事をする機会を招いてくれて、洗いざらい今の現状を伝えると、誤解もとけ、私を虐めていた人達もいなくなり、段々と居心地のいい場所に変わったけど、そうなるまで1年もかかった。

それからはしばらく日本とタイを行き来しながらの生活が続いた。

最初の頃は半年間無給だったのと初めての海外生活と言う事もあり、持ってきたお金では足りなくなり、少し食べ物とお金を送って貰えるように腹違いの姉にお願いした。

飴・お菓子・ふりかけ・乾き物のなど、を頼み楽しみに届くのを待って、ようやく届いた段ボールを開けると愕然、お願いした物とは違うものが入っていて、

しかも私が苦手な物と海外に居るのに何故か飴・お菓子はどこで買ったのか輸入物、

ツッコミどころ満載の段ボールだったが送ってくれた事にモンクを言えるはずもなく、

(あぁ、この段ボールを見るとよくわかるなぁ、小学校2年生からずっと一緒にいるのに私の食べ物の好き嫌いも分かっていないんだものなぁ)と悲しくなり

数年間海外を行ったり来たりしている中で合計2回お願いして海外に送って来てくれたが、

本当にひもじくて辛い時に3回目お願いしようとしたら断られました。

3回目の時はせっぱ詰まっていて何度かお願いしたのが面倒だからを理由に断られ、周りのスタッフは定期的に日本(家族)から食べ物などを送って来るのを横目に1番年下私は日本から何も無く、私も家族への期待を捨てればいいもののなかなか捨てきれず期待してしまうからこうなるのに、やっぱり家族への愛を捨てきれずにいてしまいう

日本に帰ってから送料がこれだけかかったから返してといわれたけど、ムカついて意地でも払わなかった。

良く周りからは腹違いの姉は私の事を良く心配していると言われる事が多かったが、それを言われるのが大っ嫌いだった。

心配してる??

冗談でしょ?

笑っちゃう!

心配してる風に見せかけてるのが上手いだけ!

だって私にそう思われてもしょうがないでしょ?

小さい時から何度も助けを呼んだのにあなたは笑っていただけ、

何度も私はSOSを出したけど貴方は見てもくれない、

何度も話し合ったのにどうすればいいのか考えない。

そんな事が何年・何十年もあったの心配されていると感じると思いますか?

口先で物事を言う人は大っ嫌い。

 

25才 父の死・財産分与

病死で享年78歳でした。

日本でアルバイト中電話があり呼吸が止まって今救急治療室にいると連絡が入り慌てて病院に向かいまた、父は数週間前から体調を悪くしICUに入っていましたが、体調が良くなり普通病棟に戻ったばかりでした。

連絡があって急いでタクシーに乗ったけど不思議と冷静で「息が止まって20分以上立つからもうダメだろうな」

と思いつつ到着してからも救急室でずっと心配蘇鉄をしていて、救急室の目の前で「もう無理でしょ、心配蘇鉄も長くしてるなぁ」

と思いつつお腹が空いていたので持っていたチーズケーキを食べつつ、傲然としている腹違いの姉に「食べる?」と聞いたら姉に「あんたお父さんがこんな状況なのになんで、、、、

といいながら泣きだした。冷静に考えてももう結果が見えてるしどうしようもないものはしょうがないし悲しみの感情もない。

父の死から1年いなに財産分与をしなくてはならず、

最初私はどうでもいいと思ったが、姉Hが「今は若いからいいと思うかも知れないけど自分が年を取ってから必ず疑問が生じるから今の内に納得できる様にした方がいいよ」

と言われ、姉Hは母が亡くなっ時自分が体験した事だからとアドバイスをしてくれた。因みに姉Hは母の死で私意外との家族との縁を切っていて生前父に少し貰っていたため財産放棄をした。

姉Hのアドバイスを聞いて私は、腹違いの姉と兄の3人で均等にしたいと3人で話し合う事に、私は平等に分けたい、姉は今住んでる家が欲しい、兄は任せると言う内容になったけどそこから話が進まない。

私は全部を現金化して三等分にしたいと思ってるが姉は家を現金化しても新しく家を買うほどの金額にはならないから今住んでる家を欲しいけど

、その場合現金としてその家の対価の3分の2を払うお金は無いと言うこと、兄が「Rちゃんと平等に育ててくれたし、お父さんの面倒もずっと見たんだからだいいんじゃない?

」といった事にたいして私は「平等なんかじゃ無い!正直姉のしていた事は家政婦にも出来た事だし、姉ではなく家政婦でも良かった!

しかも正直いって、お父さんが居なかったら姉夫婦は生活出来なかったじゃん!2人とも半分墓に突っ込んだ年齢でしょ?

でも私はこれからなの、私にいはもうお父さんもお母さんもいない、これから結婚しても何かあっても助けてくれる人もいないの、全部自分でやらないといけないの!ちょっとは私の事も考えて私は三等分に分けたい」

今まで何回も話し合った事に対して変わらない腹違いの姉に対しての怒りもあり、今までの本音とともに兄のいる前でストレートにぶつけた!すると姉は泣き出し、

平等では無かった事を認め兄もその事に対して「淋しい思いをしてたんだなぁ、ごめんな、今からでも甘えて良いんだぞ」

と言ってくれたが、私は「もう大人になってからじゃ遅いよ、今じゃ無い、当時(子供の時)甘えたかったし構って欲しかったよ。しかも何度も話し合ったよね?それでも理解できなかったじゃん」

姉Hにその出来事を後から話すと言い過ぎだと言われたが、半分墓に突っ込んだ年齢は言い過ぎたけど私は言って良かったと思ってる。しばらくはぎこちなかったけど、言ったからと言って大きい変化も無かったけど、今までで1番私の思いが伝わった瞬間で前より少し変化があったと思う。

最終的に財産分与は私が妥協する形で終わった。

その後私が数ヶ月ダイビングの仕事で家を離れ、

私の部屋にある荷物を海外に送る様に友達に頼むと友達から連絡があり「まぁちゃんのお父さんの部屋がおばさん達の部屋に変わっていたよ」

と聞いてビックリしたのと怒りで爆発しそうだった、理由はちょっと特殊な部屋の作りにあって、一階はリビングと腹違いの姉夫婦、二階はRちゃんとお父さん、三階に私の部屋なのだが、父の部屋の中に3階の部屋に行く階段があるので必然と父のベットの前を通らないと部屋に行けないのだ。

小学生の時からそうだったため慣れているしそんなに嫌だとも思わなかったけど

父が死んでまだ数ヶ月、相談も無しに部屋を変えられるのは嫌だった。しかも腹違いの姉夫婦の前を通るのも嫌!あんだけ話しあったのにこの人達は私の事を本当に考えていないのだと思うと悲しくなってくる。

数ヶ月して日本に帰ると、その事を怒ったが部屋を変える気も無いため、居心地も

もっと悪くなり1人暮らしをやっとする事に、何で早くそうしなかったのかと言うと

金銭面でバタバタするのが嫌だったのと貯金が少し貯まったから。

父の遺産を通帳に振り込んだ事を聞いて確認して見ると聞いていた金額の端数分7万円少ない、何で端数が無いのかと聞いたら、いるの?と言われ呆れた、いるの?じゃ無くて、財産分与してるんだからそれは私のでしょ!と呆れながらも叱り、もう面倒になり端数はあげる事に、その他父の持ち物について聞くと私の相談無しに勝手に兄に分けたりと考えなしの行動に説教。別にあげる事はいいけど一言私にも聞くべきだよね。

 

25才最愛の人との出会いと別れ

今の夫との出会いと大好きだった姉Hと疎遠に、姉Hは繊細な人で姉のお陰で今の私がいるのだけど、今の私の自我が姉にとって苦手らしく距離を置きたいと言われました。

26才からマッサージ業界に入る

ダイビングの世界とは足を洗いマッサージ業界入りました。

29才結婚

32才現在夫と安住の地を求めに旅にでる。

特に6才~18才の頃が辛い時期でした。

何でこんなにも私は不幸なんだろう、、、、当日は辛くて辛くて、今の私みたいになるなんて想像できないくらい。

しかも何故か第一印象が悪いのか近寄りがたい見たいで、誤解を招く事が多くイジメに合う事が多かったけど、大体1年位で誤解が解けて今でもずっと仲良しでいる事が多いい。最初はその事に悩み、気を使ったが余りにもそんな事が多いいので今ではどうせずっと一緒にいたら誤解も解けて仲良く慣れるから、最初は嫌われたままでいいや!と思う事にし、そこからはビクビクしないで堂々としてました。

自分か成人してからわたっか事ですが、幼い時からやっていった嫌な出来事だけを日記に書いたり、未来の自分への手紙、姉Hに教わった考え方、死との天秤、嫌われる勇気、自分を信じる事など無意識にやっていた事が非常に良かったらしいです。

辛い事があるとこれは神様がくれた私への試練、これを乗り越えたら素敵な大人になるためのステップアップ何だと思える様になりました。

なので今では超が付くほどポジティブ!!

あれれ??何で今までこんなに悩んでたんだっけ??て思うくらい。

でも自分の限界も理解しています。

あ、こり以上すると疲れてくるなぁ、、、って

疲れる前に無理やりにでも辞めます。

だって自分の体が一番大切だから、、、、。

周りから見ると今の私は無敵に見えるでしょう。自信と度胸があって大胆で、ユニークで毎日楽しそうだと見られる事が多いいと思いますが本当の自分を理解しているのは自分だけ、子供の頃にい受けた心の傷はかなり深く、まだときどき子供の時の私がヒョッコリ顔を出してきます「淋しいよ~、辛いよ~いっぱい甘えたかったよ~」そのたんびに今の私(現在)は過去の自分に逢いに行ってなだめます。

「心配しなくても大丈夫、大人になった私は綺麗になってみんなから愛され、こんなにも自信に満ち溢れているよ、だから大丈夫だよ、今はいっぱい泣いていいから安心して堂々と未来に生きて行って」

そして過去の自分をめいいっぱい抱きしめます。

腹違いの姉ですが私のこの文だと酷い人に見えますが、もちろん良いところも有りますし、ケンカもしますが父の死後から私が大人になった事、結婚した事もあり、前よりちょっとましな関係になれたかな?と思います。これからも仲良くしていたいと思ってます。ただ私との相性があまり良くないだけ(*^^*)これはもうしょうがない!

誤字脱字が多いいなか、長々読んんで頂きありがとうございました。

わかってるなら直せよ!(笑)

て感じですよね!

ま、変にいい加減で変に神経質なところも私なので、、、、、(笑

これからもご愛読よろしくお願いします☆

                        ☆私のオススメ本です☆

沢山ありすぎてすみません(*≧∀≦*)

 

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